1835年12月26日、現在の鹿児島に、五代家の次男として誕生。通称は、才助。

のちに薩摩藩の家老となる小松帯刀と同年であり、旧知の仲である。

藩校にて郷中教育を受け、文武両道に励む。若くして頭角を現した五代は、藩命を受けて21歳で長崎海軍伝習所へ遊学。勝海舟や、英国武器商人トーマス・グラバーらと出会い、人脈を築く。また、外国船や銃器の購入を手がけ、上海への渡航も経験した。

薩英戦争では捕虜となり故郷(くに)を追われるも、富国強兵・殖産興業を訴え、当時は国禁であった英国留学を提案。藩主より許しを得て、英国留学生と共に、引率者として欧州行きを果たす。《日本国》の未来を見据え、坂本龍馬、高杉晋作、大久保利通、西郷隆盛といった歴史上の名だたる人物たちの橋渡し役を担い、明治維新に多大な影響を与えた。

大久保利通 坂本龍馬 トーマス・グラバー 小松帯刀 西郷隆盛 高杉晋作 勝海舟

明治新政府では主に外交担当を務めるも、「政府には優れた人間がいるが、民間にはいない」と自ら官職を辞す。民間から国力の底上げを図ることを決意し、明治以降に低迷した大阪経済の復興に尽力した。大阪商法会議所の設立に携わり、初代会頭となる。また貨幣の質を整えたり、貿易会社や鉱山経営会社を設立したりと、大阪のみならず、日本経済の礎を作り上げた。

武士の誇りと、実業家としての使命感をもった五代は、まさに“士魂商才”。政府と民間から重宝されるも、療養先の東京で亡くなる。享年50歳。

五代友厚 ゆかりの地

幕末から明治へと生きた五代友厚は、幼少期を過ごした鹿児島から実業家として活躍した大阪まで様々な場所を訪れ、多くのことを学び、薩摩藩の為ひいては日本の為に働きました。日本をはじめ世界には、こうした五代友厚を感じることのできる「ゆかりの地」が観光地や文化財として大切に残されています。

五代友厚とは

鹿児島

薩摩で生まれた五代友厚は、薩摩特有の郷中教育によって育ちました。鹿児島には生家跡や城跡、薩英戦争時の砲台跡などが残されています。 【後日 更新予定】
五代友厚とは

長崎

22歳の時に遊学した長崎は、五代が青春時代を過ごした場所。世界遺産に登録された小菅修船所や、グラバー邸など五代の足跡を見ることができます。 【後日 更新予定】

大阪

五代は、維新変動の波を受け低迷した大阪経済を立て直すために尽力します。大阪には、五代が奔走して成し遂げた偉業を感じる場所が残されています。 【後日 更新予定】