五代友厚とは?

銅像になった友厚は何を
思惟しているのか?
今こそ弔いの儀式を
取り戻そう

  • 大阪商工会議所前の
    銅像
  • 大阪市摂南霊園
    (阿倍野霊園)
  • 鹿児島中央駅前の
    青春の群像

五代友厚の社会的感受性と
身体感覚を
内側から覗いてみよう

五代友厚は1836年12月26日薩摩藩上士秀尭の元に生まれ、
幕府の鎖国の中薩摩藩が貿易によって力をつけ
日本を守るべく努力している中で育まれ、
世界地図の中で日本の小ささを知り同じ大きさの英国の
繁栄をみて思考し、「武士道とは死ぬこととみつけたり」では、
単に自己評価を求めるだけで何ら人間や国家の行動指針とは
なりえないことと知った。

1857年長崎の海軍伝習所へ行き、
各藩(特に肥前藩)の優秀な友人と共にオランダの先生から、
海外に通用する普遍的な万国共通の道理があることを学んだ。
普遍的な道理について、福沢諭吉は自由と権利にあるとうたったが、
友厚はどう思って、何をその後の行動の価値基準としていたのか?
その検証をしていくプロセスは実に興味深い。

当時日本には農業しか産業らしい産業はない。
列強6ヶ国(特にロシア)から日本を守るには、
まず友厚自身はどうすべきか悩んだ。

尊王攘夷の掛け声で、幕末の代わりに天皇を置いても経済改革なくし
ては、日本は生きれない。
今日本は農業しかない。
日本を百姓だけで
守れるのか?軍事費はどこから出すのか?
35万人余りの武士の仕事は何とするのか?
時間がない・・・。

1865年薩英戦争でアームストロング砲を知り、
まずあの小さく偉大な英国の力の源の産業そのものを輸入しようと
思ったのである。
英国ではロンドン大学の恩情にも育まれ、宗教哲学の恩恵を受け、
政治・法律の基には経済があることを覚知し、
自らはリアリストとなり日本国家の礎となることを決意した。

さぁ、五代友厚の社会的感受性と身体感覚とを
彼の経験の内側から覗いてみることにする。
しかし、それには緻密で徹底的な資料的基礎づけと
大胆な想像力とフレキシブルな知性が必要である。

いざ出発!