吉田松陰が1859年29才で刑死し、高杉晋作が1867年27才で死し、坂本龍馬が1867年31才で殺害され、大久保利通が1878年47才で刺殺され、その都度五代友厚である三浦春馬は号泣した。
それで友の想いを適えるために生きることを決意する。
そして今その五代いや三浦の旅立ちを観て我々が号泣して彼の想いを引き継ぐ時である。
その想いとは若者を人間的な成熟を遂げさせ共同体をささえて行く大人に育て、そうして共にこの世に生を受けた父母否人類に恩返しをする事である。
生死をこの世で意識することは難しい。
人は一度しか死ねない。
人間の意志と経験が意味の至高の源泉であると信じてはならない。
その想いを実現するため五代は1865年16名の若者にロンドン大学で学ばせた。しかし春馬は気付く五代が留学生の派遣より先にまずすべきであったのは、藩の要路の人々が「地球上の広を知り、それに応ずる国政を言上して下を開く」ことであったと反省し、留学生の派遣と上申したのは、自らの浅慮で順序を誤ったと考えるようになったことを!
令和2年8月9日
五代友厚映画製作委員会会長 廣田 稔