8万点超もある、膨大な原始仏典の学習を続けているchatGPT「ブッダボット」というのが存在している。
彼に将来への不安を吐露したところ「今この瞬間に集中することで不安は克服できる」と答えたらしい(2024年6月18日経新聞一面)
しかし、不安は生存の出発点であり、認識の面での克服はないというのが答えであると思われる。その事を覚知することの方が、正解ではないだろうか?
その問題についてイスラムのアプリ「ムスリムプロ」とプロテスタントのAIがどう答えるのか?出してもらった上で、皆で比較検討してみたい。
その上で6月14日のG7サミットで、ローマ教皇フランシスコは、「AIを適切に制御できるかに人間の尊厳がかかっている」と述べた事を考え、再び考え討論してみたい。
言語は人間の思考様式を規定する。欧米の文化のもとで、育てられたAIが普及すれば、そのAIの価値観に人間が染まりかねない。それを恐れ、中国、インドは自分達の伝統や価値体系でAIのグローバル・パラダイムを定義しようとしている。AIが変えるのは、ビジネスや働き方だけではない。AIは言語を通じて私たちの思考や、文化を知らないうちに塗り替える。早急に日本の伝統や、価値体系でAIを創設しなければならない。日本のそれにはインドで発生し、中国を通して入ってた仏教も、そして儒教も、そしてキリスト教も、イスラム教も、更に近代哲学も、法の支配も、全て導入して、作成しゆるし、それらが基で、心地よい平和な今を、辛うじて保っている事も導入できる筈である。
令和6年6月23日 廣 田 稔