青年の時は自己の人生を充実したものにし、更には自分が死んだ後の社会にも思いを馳せるような人間になるべく勉強する時代と言われている。(内田樹「困難な成熟」夜間飛行より)
青年の特徴は機動性と架橋性であるということを夏目漱石と森鴎外が教案した。
五代友厚は江戸時代の遺物と資本主義との間を架橋した。烈強オランダ英国の先例があったので殖産産業と富国強兵もそこでの制度の中に国民資源を集中することができた。
しかし維新の後、日本古来の伝統と文化を「廃仏毀釈」だとか「廃刀令」とかで叩き壊された。
架橋性と担った旧制高校も無くなった。
現在では、一応日本も経済大国と一度は言われるまでになった。今や先例とすべき烈強の国は存在などしない。英国のプレグジット、トランプ、ポピュリズムの台頭借りてきた自由主れいわ義、民主主義も危殆に瀕している。
しかも我々は民主主義の有り様を知識としてあるだけで学んでいない。又、戦前の日本人の様に国を守る気概を持てていない。そして今や日本では大人も子供も「自分のことだけやっていればいいよ」と言われ青年を求めていない。
今こそ五代友厚の再来を!必要とする時代である。
五代も三浦春馬も、子供の様な初々した無垢を、羞恥心を持ちながら、理想を持ち、小児病的大人達に立ち向かって調整を計りながら日常の出来事を淡さと妻子に報告するだけで力を仕事で発揮して生き急いでいった。
そして真なる青春像を我々に残していってくれたのである。
映画「天外者」を観る時、あるいは観た後、福沢諭吉か「瘦我慢の説」で「立国は私なり、公に非ざるなり」「国民国家なんていうのは幻想だぜ」と言い切っている真意を皆で考え討論する場を議定されたい。
令和2年11月29日
五代友厚映画製作委員会会長 廣田 稔